2023/07/23
鹿行からの帰り、友人たちと別れバスで一人銚子に向かった。波崎から銚子に向かう銚子大橋から見る利根川河口と本銚子、波崎の街並みは美しかった。水辺に広がる街並みはこの街が水とともに生きる人々の営みによってできたことを感じさせた。
銚子の街の雰囲気は個人的にはかなり好き。川まで続く広々とした通りと街並みが広がっている。旅館の多さと居酒屋の多さが一昔前の銚子の繁栄を思い起こさせる。そのころは一体どれほどの人が銚子の駅に降り立ち、銚子の駅前を歩いていたのだろう。
夜の列車は退屈で読書が捗る。銚子から成田まで大体1時間、成田から我孫子まで大体1時間。そこまで遠いイメージはなかったが、思ったより時間がかかる。速度の速い現代の列車でもこのくらい時間がかかるのだから、帆船を使っていた江戸の時代にはどのくらいの時間をかけて移動していたのだろうか。
成田線の列車の中から見た夕焼けは水彩画のようにきれいだった。外が暗くなったあと、北総の田園地帯は真っ暗だった。成田の駅に着く直前に見えた成田の街はとても明るく、そこが東京大都市圏の一角であり、にぎやかな国際都市であることを実感した。
我孫子支線は今までの成田線と同様に河岸場のあった街を結ぶ路線。舟運が形を変えて残っているようにも思えたが、10両の通勤電車の走るこの路線は自分の頭で思い浮かべる舟運の感じとは大きく違うように思った。
21時ごろに我孫子に着いた。日曜日夜の郊外の駅というのはなんだか寂しい。休日の終わりを感じさせるからだろうか。自分にはそれだけが理由とは思えないが、言葉にするのは難しい。そして日曜夜の下り近郊列車も独特の雰囲気がある。
利根川の長い鉄橋を渡り、茨城に入る。取手を発射した後左側に見える日清の食品工場のネオンサインが暗い田園地帯の中に輝いていた。
荒川沖の駅に着いた。かつては学園都市の玄関口であったが、つくばに鉄道が通った現在は昔より行きかう人の数は減ったのだろうか。荒川沖からつくばセンターまで20分。20分で自然な街並みから人工的な街並みへと変化していくのは面白かった。ヒューマンスケールではないつくばの街は個人的には苦手な面もあるが、帰ってみるとある種の安心感もあった。
あとがき
読んでいた紀行文に影響を受けて我孫子支線に乗っているときに書きたくなったので書いた。何かをアウトプットする習慣がないのでこういうのを習慣化したいなと思ったり…。ではまた。
最近よく聴く曲
・PEOPLE1 『悪玉みたいに』
・PEOPLE1 『夏は巡る』
・ブランデー戦記 『Kids』
・神聖かまってちゃん 『雲が流れる』